森の童話館「空飛ぶコーギー」

　魔女のキャサリンの小屋のかまどには、陶器の大鍋がかけられ、鍋の中ではお湯がグラグラと煮えたぎっていました。ところが、キャサリンの姿は見当たりません。「空飛ぶコーギー」のマロンは、小さく首を傾けました。「キャサリンさんは、どこに行ったの？」。天井からはクモが糸を垂らし、マロンが開いた扉から吹き込むそよ風に大きく揺れていました。「キャサリンさーん！」と、マロンは大きな声で呼んでみました。

　「お鍋がかかっているっていうことは、遠くに行っているわけはないよね」と、マロンは考えました。「キャサリンさーん！」と、鍋の中をのぞいてみました。鍋の中ではブツブツとお湯が話しているだけで、他には何も入っていませんでした。「キャサリンさーん！」と、ベッドの部屋ものぞいてみました。ベッドにはキャサリンのパジャマが脱ぎ捨てられていました。「おや？パジャマを着ていないんだ」と、マロンは言いました。「僕、少し眠くなってきちゃった」と、キャサリンのパジャマを着てベッドにもぐり込み、「おやすみなさーい」と、眠り始めてしまいました。

　一体、どれくらい時間が過ぎたのでしょう。マロンが目を覚ますと、小屋に誰かがいる気配がしました。「キャサリンさん？戻ったの？」と、マロンはベッドの中で聞き耳を立てました。誰かは、「ブツブツブツブツ…」とつぶやきながら、鍋をかき回していました。鍋から美味しそうな匂いが立ち込めました。グーと、マロンのお腹が鳴りました。「うーん、いい匂い」。

　マロンはキャサリンのパジャマを着たまま、起き出しました。鍋の前には、相変わらず誰かが立っていました。「ブツブツブツブツ…」と、誰かがパジャマを着たマロンに話しかけてきました。マロンは「誰？」と聞きました。「ブツブツブツブツ…」と、誰かが振り返りました。「わっ！」と、マロンが大きな声を挙げました。振り向いた誰かの顔には、目も鼻も口もありませんでした。真っ白な湯気のような顔でした。

　誰かは、鍋からすくったスープを深い皿に注いでマロンの前に出しました。「美味しそう」と、マロンはペロリとなめてみました。「まいうー！」と、マロンは言いました。何も入っていないと思っていた鍋のスープは、いろんな味が溶け合った、今までなめたことのない味でした。「これは、うまい！」。「何が入ってるの？」「とんこつ？」「鶏がら？」「魚介系？」「Ｗスープ？」と、マロンが聞きました。誰かは、何も答えず、「ブツブツブツブツ…」と、鍋の中をかき回していました。

　「まあ。マロンが来ていたの？」と、キャサリンさんが戻って来ました。「私、かまどに鍋をかけたままで出かけちゃったんだわ。愛ちゃんのママから呼ばれたんで行っていたのよ」と、キャサリンはパジャマを着たマロンに言いました。鍋をかき混ぜていた誰かは、いなくなりました。「愛ちゃん、熱が出ちゃってね」。「で、愛ちゃんはどうしたの？」と、マロンが聞きました。「クスリを置いてきたから、じきに治るわよ」と、キャサリンは言いました。「クスリ？まずそう」と、マロンは顔をしかめました。「あら。魔女のクスリは美味しいのよ。マロンもなめてみる？」と、いなくなった誰かに代わって、キャサリンは鍋をかき回しました。「ああ、そのスープならさっきなめたよ」「どうだった？」「どうだったって？美味しかったよ」「ねっ？魔女のクスリは美味しいでしょう」「ええ？クスリなの？」「そう、クスリよ」と、キャサリンは言いました。

　「私が出かけている間に、湯気の妖精が作っていてくれたと思うわ。これが、魔女のクスリ。美味しいでしょう？中には数十種類の薬草とたっぷりの愛情が入っているのよ。愛情は、お互いに気遣う気持ち、尊敬し合う気持ち…。何よりのクスリだし、何にも勝るスパイスね。絶対に欠かせないわ」と、キャサリンは言いました。「そうなんだ。クスリだけじゃあ病気は治らないんだ。調子が悪い時には、気遣う気持ちが最高のクスリになるんだよね」と、マロンは言いました。「ああ、僕、急にお腹が痛くなっちゃった」。「はいはい。マロンに特製のクスリをあげましょう」と、キャサリンが言いました。マロンは、舌なめずりをして待ちました。マロンの前に湯気の上がったお皿が出されました。「わーい！」と、マロンは飛び起きました。「これ、クスリ？」と、マロンが聞きました。「マロンは、お腹がすいただけでしょう？だから、これは、夕べの残りのカレーライスよ」と、キャサリンが言いました。「いっただきまーす！」。