2021年05月16日

タロウの写真

 二階の開け放しにした窓から、突然吹き込んだ乱暴な風で、本棚の上の写真立てが倒れました。光るガラスの内側には、雑種犬タロウがまだ仔犬だった頃、元気だった家族と過ごした大切な時間が収められていました。写真立ては、本棚の高い所からカタン!と音を立て、二回まわってそのまま床に落ちました。

 倒れたはずみで写真立てのガラスが外れました。タロウの写真が宙を舞い、風に翻ったカーテンの陰で、過ぎた時間を振り返り一休みをしました。カタン!という音は犬小屋のタロウの耳にも届きました。見上げたタロウの目に、窓から舞い出た、あの写真が見えました。「あっ、僕の写真。どこに行っちゃうの?」。タロウはなくしてはいけない思い出を追いかけました。タロウは息を切らせて追いました。写真はタロウを誘うように上がったり下がったりしながら、家々の屋根をかすめ、駐車場のフェンスを登り、公園の広場の空まで飛んできました。タロウはわき目もふらずに後を追いました。ハアハアと息が切れ、足取りもフラフラしてきましたが、「見逃してなるものか」と、目だけは必死でヒラヒラと舞う写真を追いました。

 公園では「空飛ぶコーギー」のマロンが、跳ね回っていました。遠くから走ってくる雑種犬タロウの荒くなった息遣いが近づいて来ました。「タロウ!どうしたの?」と、マロンが声をかけました。タロウは、目だけは写真を追いながら、よろめく足取りでマロンに近づきました。「マロン。お願いだ。僕のあの写真を捕まえてきて!」と、話しました。マロンは、タロウの様子がただ事ではないと感じました。「きっと、特別な写真に違いない」と察して、詳しく聞く前に飛び上がりました。「マロン。頼んだよ」。

 マロンは、時々強い風が吹く空を、写真を追って飛びました。写真はヒラリヒラリと軽々と舞って行きました。マロンが短い前足で捕まえようとすると、写真は身を翻して逃げました。マロンは今度は反対の足を伸ばしました。かすかに写真に触ったのですが、またしてもヒラリと逃げられました。マロンはあっちの足、こっちの足と、爪を立てて捕まえようとするのですが、ヒラリヒラリと逃げられる度に、幾筋も幾筋も爪痕がつきました。マロンは、タロウの心配そうに見上げる視線を体全体で感じていました。「今度こそ」と、マロンは、精一杯に足を伸ばし、ガウ!と口で捕まえました。

 マロンが写真をくわえたまま、タロウの待つ公園に戻りました。タロウがマロンに近づきました。マロンは写真を口から離して、タロウに渡しました。「マロン。ありがとう。僕の大切な思い出だったんだ」と、タロウが言いました。「タロウ。ゴメン。こんなにいっぱい傷をつけちゃった」と、マロンが言いました。「いいよ。傷だらけの写真でも、僕にはこれ一枚しか残っていない、大切な家族との時間だから…」と、タロウが言いました。写真には、タロウを真ん中にした家族の懐かしい顔が写っていました。写真の中では、みんなが楽しそうに笑っていました。

 「もう、どこにも逃げて行かないでね。僕を一人ぼっちにしないでね。ね、お願いだよ」と、タロウは写真に、何度も何度も言いました。「あれ、ここって?」と、マロンがタロウに言いました。「この写真の…」。タロウが見回してみると、確かにそこは、タロウと家族とのの大切な時間を写した、あの思い出の場所でした。「写真、逃げたんじゃなかったね?」と、マロンが言いました。タロウは寂しそうにうなずきました。「思い出は、僕の心の中にいつでもあるんだ。僕、勘違いしてたよ。思い出は、どこにも逃げて行くはずないよね」。


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Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 04:29│Comments(0)空飛ぶコーギー
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