2020年12月06日
健ちゃんは名指揮者♪
とにかく、音楽に聴こえるというのです。何を聴いても、メロディーとリズムに聴こえるというのです。これって、誰のこと?みんなが知っている、あの健ちゃんのことです。
健ちゃんは、誕生日が来ると満六歳になります。だから、来年の春には小学生。「みんなと一緒に行きたいな?」と思っているのですが、車椅子に乗ってしか歩けないので、一緒に通えるかどうか?お父さんやお母さんは心配していますが、健ちゃんは知らん顔。そんなことより、毎日、風の音を聴いたり、小鳥のさえずりを聴いたりして、手首をまるで指揮者のように動かして楽しそうです。
特に好きなのは、風にそよぐ木の葉の音楽。サラサラ、カサカサ…と、健ちゃんの耳には、大作曲家の作った名曲のように聴こえているらしいのです。手首をユラリユラリと揺らしながら、車椅子の上で、体を大きく揺するのが大好き。今日もニコニコとご機嫌で指揮者気取りです。
「健ちゃんっていいな?」と姉の陽ちゃんが言いました。お母さんが聞きました。「え、どうして?」「だって、いつでもニコニコ笑ってばかり。きっと、何を聴いても楽しいんだよね」。
その日は天気も良く、絶好の散歩日和。健ちゃんの車椅子を押しながら、お母さんも嬉しそうでした。街路樹にそよぐ大好きな風の音楽を聴きながら、近くの公園に着きました。健ちゃんは手首を静かに揺らしています。「これって、ショパンかな?」陽ちゃんは、健ちゃんの顔を覗き込んで言いました。健ちゃんは、何も答えず、ニコリと笑って、少しだけ首を傾けました。
ところがいきなり、暴れん坊のウエルッシュ・コーギーが、短い足をバタバタさせて、吠えかかってきました。ウーワン。陽ちゃんもお母さんもビックリ。コーギーはリードをひきずったまま、車椅子の周りをグルグルまわって、唸っています。ウーワンワン。
「危ないから、動いちゃあダメよ」と、お母さんは、車椅子にしがみついて、叫びました。でも、健ちゃんは、いつものように、手首をユラリユラリと揺らし始めました。クラリネットが最初の主題を演奏しました。どうやら、犬の吠える声も音楽に聴こえているようです。ウーワンワンワン。犬が激しく吠えるとき、健ちゃんも手を激しく振っています。「健ちゃん、動いちゃダメ!」。ウーワンワンワン。健ちゃんの振る手が、優しくなると、どうでしょう、犬の吠える声も、優しくなってきました。健ちゃんが静かに手をおろすと、コーギーは健ちゃんの車椅子のそばに座って、伏せのポーズです。
「またまた、健ちゃんの魔法だね」と、陽ちゃんがうらやましそうにつぶやきました。「本当ね。魔法だわ」とお母さん、ほっとした声で言いました。コーギーは尻尾のないお尻をピコピコと動かして、伏せたままです。
「ゴメンナサーイ!」と、飼い主の女性が駆けてきました。「マロン、咬みませんでしたか?」と心配そうに訊ねましたが、伏せをしてお尻をピコピコさせている犬を見て「えっ?どうして?」と不思議そうに首をひねりました。健ちゃんの手がゆっくり上がると、コーギーのマロンはおとなしく立ち上がり、女性の足元にすり寄って行きました。
そう言えば、健ちゃんは、動物園に出掛けたときにも、歯を剥いて唸るライオンを、得意のユラリユラリで黙らせてしまったことがありました。ゾウは鼻を持ち上げて、キリンは長い首を上下に揺すって、みんな健ちゃんに挨拶しているようでした。健ちゃんはただニコニコ笑って、手首を揺らすだけ。サルたちは、背伸びをして健ちゃんを見ているし、ペンギンはピョコピョコ歩きでマーチング。レッサーパンダは立ち上がってバンザイのポーズ。健ちゃんの指揮に合わせて歌い出したのは、アシカとオットセイのコーラス隊でした。普段は一緒にいる時間が少ないお父さんは、これにはビックリ。「健ちゃんは名指揮者だね」とウインクして見せました。
健ちゃんには、言葉なんて要りません。きっと、動物たちの鳴き声だって、音楽のように聴こえているに違いありません。怒っていても、悲しんでいても、音楽が浸み込むようにスーッと体に入ってくるのでしょう。

公園からの帰り道。ゆるやかな坂道にさしかかったときのことです。お母さんと陽ちゃんが、ちょっとよそ見をしていた短い間に、車椅子がお母さんの手から離れ、勝手に動き出してしまいました。低いコントラバスの怪しげな響きに乗せて、車椅子はゆっくりと動き始め、次第にスピードを上げながら、車道の方へと近づいて行きました。ガタンと歩道の段差から一段下がり勢いがつき始め、二人が気づいたときには、車椅子は車道を横切ろうとしていました。もちろん、健ちゃんを乗せたままです。「あっ、危ない!お母さん、健ちゃんの車椅子が」と、陽ちゃんが大きな声で叫びました。
その時、一台のトラックが近づいてきました。トラックは車椅子には気づいていないようです。健ちゃんの手がピクと動きました。すると、どうでしょう。ワンワンワァン。さっきのコーギーのマロンが、何処からともなく一目散に駆け寄ってきました。「マロン!戻ってらっしゃい!」と遠くで呼ぶ声がします。ジャーン!タンバリンが楽章の変わり目を告げました。
マロンは短い足をバタバタさせながら必死で走り、健ちゃんの車椅子目がけて、車道を横切りました。トラックはスピードを緩めずに近づいてきます。キー!とブレーキの音が響きました。運転手さんがやっと気づいたようですが、トラックはもう車椅子の目の前です。「キャー!」。お母さんも陽ちゃんも、思わず目をつぶりました。
健ちゃんが手首を強く振りました。主題は幾重にも追いかけて、フーガを奏でています。マロンは車椅子に突進し、うまい具合にリードが絡みました。健ちゃんの右手がユラリと揺れた次の瞬間、車椅子とマロンは、道路の反対側にガシャンとぶつかるように、渡り切りました。急ブレーキのトラックが止まりました。運転手さんは運転席のドアを開けて、車椅子に駆け寄りました。健ちゃんの手はユラリユラリと揺れたままです。マロンは口を大きく開いて、舌をダラリとさせて、ハアハアと体全体で呼吸をしています。
「だ、大丈夫か?」と運転手さん。「健ちゃん、大丈夫?」と、お母さんと陽ちゃんも車椅子に駆け寄りました。マロンの飼い主も走ってきました。
と、そのときです。「誰か、捕まえて!」と叫ぶ声が、歩道に響きました。目の前のコンビニから、黒い覆面の男が飛び出してきました。そのあとを追って、「泥棒!誰か捕まえて!」と叫ぶ店員さんも飛び出しました。
声のする方向を見ると、顔をすっぽりと隠した男が一人、こちらに向かって全速力で駆けてきます。「待てー!」と叫ぶ声に合わせるように、健ちゃんのタクトが振り下ろされました。空から響くようなティンパニの音を合図に、マロンが素早く車椅子から離れ、真っ赤なリードがピンと張られました。ちょうど、泥棒が車椅子の脇をすり抜けようとした瞬間でした。バタンと大きな音がして、泥棒が倒れました。「よし、任せろ」と、トラックの運転手さんが、馬乗りになりました。トランペットが高音で旋律を奏でました。ユラリユラリ。みんな、健ちゃんの指揮に合わせて、音楽を奏でています。陽ちゃんが足を踏み鳴らしました。リズムに合わせて、マロンが回りました。コンビニの店員さんが手拍子を始めました。歩道のあちらからも、こちらからも一斉に手拍子が聴こえてきました。

「フォルテッシモだったね」と陽ちゃんが息を弾ませて言いました。「ハラハラしたけど、さすが名指揮者ね」と、お母さんも感心してつぶやきました。
パトカーがサイレンの音を響かせてやってきました。健ちゃんはパトカーが大好きです。ニコニコしながら、手首を揺らしています。「みなさん、泥棒の逮捕にご協力いただき、ありがとうございました」と警察官が言いました。ウーワンワンと、マロンがこたえました。健ちゃんは、相変わらずご機嫌で手首を揺らせています。ユラリユラリ。マロンが健ちゃんの膝に前足をかけました。
「おーい、大丈夫?」と、健ちゃんの友だちたちも集まってきました。「健ちゃん、すごいね」「お手柄だね」と口々に叫んでいます。バイオリンが最後の旋律を静かに奏でる中、健ちゃんは、何事もなかったかのように体を大きく揺らせています。
風がそよいできました。涼やかな風が、木の葉をソヨソヨ、カサカサと震わせ始めました。陽ちゃんが言いました。「アンダンテね」。お母さんも言いました。「そうね。シンフォニーの終わりは、アンダンテくらいがちょうどいいわね」。拍手が沸きあがる中、健ちゃんのタクトが、今、静かに下ろされました。
健ちゃんは、誕生日が来ると満六歳になります。だから、来年の春には小学生。「みんなと一緒に行きたいな?」と思っているのですが、車椅子に乗ってしか歩けないので、一緒に通えるかどうか?お父さんやお母さんは心配していますが、健ちゃんは知らん顔。そんなことより、毎日、風の音を聴いたり、小鳥のさえずりを聴いたりして、手首をまるで指揮者のように動かして楽しそうです。
特に好きなのは、風にそよぐ木の葉の音楽。サラサラ、カサカサ…と、健ちゃんの耳には、大作曲家の作った名曲のように聴こえているらしいのです。手首をユラリユラリと揺らしながら、車椅子の上で、体を大きく揺するのが大好き。今日もニコニコとご機嫌で指揮者気取りです。
「健ちゃんっていいな?」と姉の陽ちゃんが言いました。お母さんが聞きました。「え、どうして?」「だって、いつでもニコニコ笑ってばかり。きっと、何を聴いても楽しいんだよね」。
その日は天気も良く、絶好の散歩日和。健ちゃんの車椅子を押しながら、お母さんも嬉しそうでした。街路樹にそよぐ大好きな風の音楽を聴きながら、近くの公園に着きました。健ちゃんは手首を静かに揺らしています。「これって、ショパンかな?」陽ちゃんは、健ちゃんの顔を覗き込んで言いました。健ちゃんは、何も答えず、ニコリと笑って、少しだけ首を傾けました。
ところがいきなり、暴れん坊のウエルッシュ・コーギーが、短い足をバタバタさせて、吠えかかってきました。ウーワン。陽ちゃんもお母さんもビックリ。コーギーはリードをひきずったまま、車椅子の周りをグルグルまわって、唸っています。ウーワンワン。
「危ないから、動いちゃあダメよ」と、お母さんは、車椅子にしがみついて、叫びました。でも、健ちゃんは、いつものように、手首をユラリユラリと揺らし始めました。クラリネットが最初の主題を演奏しました。どうやら、犬の吠える声も音楽に聴こえているようです。ウーワンワンワン。犬が激しく吠えるとき、健ちゃんも手を激しく振っています。「健ちゃん、動いちゃダメ!」。ウーワンワンワン。健ちゃんの振る手が、優しくなると、どうでしょう、犬の吠える声も、優しくなってきました。健ちゃんが静かに手をおろすと、コーギーは健ちゃんの車椅子のそばに座って、伏せのポーズです。
「またまた、健ちゃんの魔法だね」と、陽ちゃんがうらやましそうにつぶやきました。「本当ね。魔法だわ」とお母さん、ほっとした声で言いました。コーギーは尻尾のないお尻をピコピコと動かして、伏せたままです。
「ゴメンナサーイ!」と、飼い主の女性が駆けてきました。「マロン、咬みませんでしたか?」と心配そうに訊ねましたが、伏せをしてお尻をピコピコさせている犬を見て「えっ?どうして?」と不思議そうに首をひねりました。健ちゃんの手がゆっくり上がると、コーギーのマロンはおとなしく立ち上がり、女性の足元にすり寄って行きました。
そう言えば、健ちゃんは、動物園に出掛けたときにも、歯を剥いて唸るライオンを、得意のユラリユラリで黙らせてしまったことがありました。ゾウは鼻を持ち上げて、キリンは長い首を上下に揺すって、みんな健ちゃんに挨拶しているようでした。健ちゃんはただニコニコ笑って、手首を揺らすだけ。サルたちは、背伸びをして健ちゃんを見ているし、ペンギンはピョコピョコ歩きでマーチング。レッサーパンダは立ち上がってバンザイのポーズ。健ちゃんの指揮に合わせて歌い出したのは、アシカとオットセイのコーラス隊でした。普段は一緒にいる時間が少ないお父さんは、これにはビックリ。「健ちゃんは名指揮者だね」とウインクして見せました。
健ちゃんには、言葉なんて要りません。きっと、動物たちの鳴き声だって、音楽のように聴こえているに違いありません。怒っていても、悲しんでいても、音楽が浸み込むようにスーッと体に入ってくるのでしょう。

公園からの帰り道。ゆるやかな坂道にさしかかったときのことです。お母さんと陽ちゃんが、ちょっとよそ見をしていた短い間に、車椅子がお母さんの手から離れ、勝手に動き出してしまいました。低いコントラバスの怪しげな響きに乗せて、車椅子はゆっくりと動き始め、次第にスピードを上げながら、車道の方へと近づいて行きました。ガタンと歩道の段差から一段下がり勢いがつき始め、二人が気づいたときには、車椅子は車道を横切ろうとしていました。もちろん、健ちゃんを乗せたままです。「あっ、危ない!お母さん、健ちゃんの車椅子が」と、陽ちゃんが大きな声で叫びました。
その時、一台のトラックが近づいてきました。トラックは車椅子には気づいていないようです。健ちゃんの手がピクと動きました。すると、どうでしょう。ワンワンワァン。さっきのコーギーのマロンが、何処からともなく一目散に駆け寄ってきました。「マロン!戻ってらっしゃい!」と遠くで呼ぶ声がします。ジャーン!タンバリンが楽章の変わり目を告げました。
マロンは短い足をバタバタさせながら必死で走り、健ちゃんの車椅子目がけて、車道を横切りました。トラックはスピードを緩めずに近づいてきます。キー!とブレーキの音が響きました。運転手さんがやっと気づいたようですが、トラックはもう車椅子の目の前です。「キャー!」。お母さんも陽ちゃんも、思わず目をつぶりました。
健ちゃんが手首を強く振りました。主題は幾重にも追いかけて、フーガを奏でています。マロンは車椅子に突進し、うまい具合にリードが絡みました。健ちゃんの右手がユラリと揺れた次の瞬間、車椅子とマロンは、道路の反対側にガシャンとぶつかるように、渡り切りました。急ブレーキのトラックが止まりました。運転手さんは運転席のドアを開けて、車椅子に駆け寄りました。健ちゃんの手はユラリユラリと揺れたままです。マロンは口を大きく開いて、舌をダラリとさせて、ハアハアと体全体で呼吸をしています。
「だ、大丈夫か?」と運転手さん。「健ちゃん、大丈夫?」と、お母さんと陽ちゃんも車椅子に駆け寄りました。マロンの飼い主も走ってきました。
と、そのときです。「誰か、捕まえて!」と叫ぶ声が、歩道に響きました。目の前のコンビニから、黒い覆面の男が飛び出してきました。そのあとを追って、「泥棒!誰か捕まえて!」と叫ぶ店員さんも飛び出しました。
声のする方向を見ると、顔をすっぽりと隠した男が一人、こちらに向かって全速力で駆けてきます。「待てー!」と叫ぶ声に合わせるように、健ちゃんのタクトが振り下ろされました。空から響くようなティンパニの音を合図に、マロンが素早く車椅子から離れ、真っ赤なリードがピンと張られました。ちょうど、泥棒が車椅子の脇をすり抜けようとした瞬間でした。バタンと大きな音がして、泥棒が倒れました。「よし、任せろ」と、トラックの運転手さんが、馬乗りになりました。トランペットが高音で旋律を奏でました。ユラリユラリ。みんな、健ちゃんの指揮に合わせて、音楽を奏でています。陽ちゃんが足を踏み鳴らしました。リズムに合わせて、マロンが回りました。コンビニの店員さんが手拍子を始めました。歩道のあちらからも、こちらからも一斉に手拍子が聴こえてきました。

「フォルテッシモだったね」と陽ちゃんが息を弾ませて言いました。「ハラハラしたけど、さすが名指揮者ね」と、お母さんも感心してつぶやきました。
パトカーがサイレンの音を響かせてやってきました。健ちゃんはパトカーが大好きです。ニコニコしながら、手首を揺らしています。「みなさん、泥棒の逮捕にご協力いただき、ありがとうございました」と警察官が言いました。ウーワンワンと、マロンがこたえました。健ちゃんは、相変わらずご機嫌で手首を揺らせています。ユラリユラリ。マロンが健ちゃんの膝に前足をかけました。
「おーい、大丈夫?」と、健ちゃんの友だちたちも集まってきました。「健ちゃん、すごいね」「お手柄だね」と口々に叫んでいます。バイオリンが最後の旋律を静かに奏でる中、健ちゃんは、何事もなかったかのように体を大きく揺らせています。
風がそよいできました。涼やかな風が、木の葉をソヨソヨ、カサカサと震わせ始めました。陽ちゃんが言いました。「アンダンテね」。お母さんも言いました。「そうね。シンフォニーの終わりは、アンダンテくらいがちょうどいいわね」。拍手が沸きあがる中、健ちゃんのタクトが、今、静かに下ろされました。
Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:30│Comments(0)
│空飛ぶコーギー