空飛ぶマロンへの疑問
その後、「空飛ぶコーギー」マロンに関する重大な証言がもたらされたので報告する。
これは、名前を明かさないことを条件で語られたものであり、ここでは仮にM氏ということにしておく。M氏は斉藤博士の研究所の元スタッフ。M氏が初めてマロンを見たときの印象としては「これでは、とても飛ぶのは無理じゃん」とのことだったという。つまり、ただでさえ太り易い体質のウエルッシュ・コーギーであり、尚、当時のマロンは成長盛りでもあったか、また別の理由でもあったか、尋常ならざるほどの食欲を示していた。ただし、マロンの体は丸々と太り、まるで膨らみ切ったジェット風船にも見えたため、逆の可能性としては、甲子園の7回裏のように、そのままでも飛び出すかも知れないと思われるほどであったという。
M氏が疑っているのは、次の点である。つまり、健全な思考からして「果たして、本当に犬が空を飛ぶのか」という一点である。M氏が、飽くまでも憶測であると断った上で述べたのは、或る時期に、コーギーのマロンと田んぼのアマサギがすり替えられた可能性である。そこで、皆さんも想像していただきたい。確かにM氏が指摘するまでもなく、アマサギの色彩とコーギーの色彩は極めて似ている。かつて一枚のX線フィルムが存在していた。これはM氏が撮影したものであり、そこには驚愕の事実が写し出されていたという。
それは、マロンのやや大きめの耳を写した物であった。マロンが研究所に来たばかりの頃のフィルムでは、耳は大きいとはいえ、コーギーの標準と比べて、特別に大き過ぎるとは言えなかったし、特に不自然な兆候は見られなかった。ところが、数ヶ月後のフィルムを見て、M氏は驚いたという。そこに写っていたのは、紛れもない骨格を供えた羽であったという。M氏はフィルムの提出は拒んだものの、その時採取したとされる羽毛を提示してみせた。それは、アマサギのものと断定できるほどでもないが、少なくともコーギーのもととは思われない。マロンがしばしば鳥の言葉を操る理由も、側面からこのことを証明しているのかも知れない。
ここで暇潰しに、別の証言を紹介しよう。ご存知のように、「哺乳類」と「鳥類」とは、ある段階より別の進化を遂げて現在に到っている。しかし、逆に考えれば、或る段階までは、同じ進化を歩んで来たことに他ならない。ただ単に外観が似ているということ以上に、コーギーとアマサギが近い関係にあり、仮に種の混合がなされたと仮定すればどうであろう。また、斉藤博士が、そのことにいち早く気づいていたとしたら、どうであろう。マロンは、ウエルッシュ・コーギーの母とアマサギの父との間に生まれた、まったく新種の飛行生命体だというのだ。この説を、一笑にふしてしまうかどうかは、皆様のご判断に委ねることにする。
さて、本題に戻ることにする。「空飛ぶマロン」が、少なくともある段階から、別の個体とすり替えられていたと判断できるエビデンスが他にも存在する。それは、何とマロン自身のコメントである。「或る朝、目覚めたら、無性にカエルやバッタを食べたくなった」というのだ。そのため、マロンは何をしたか。なんとマロンは郊外の田んぼに飛行し、耕運機のあとを付いて歩き、鳥たちに混じって、カエルを啄ばんだというのだ。勿論あの尖った口先で、である。まるで、アマサギそのものではないか。その時に、自分の短く太かった脚が、現在のようにスリムな形状に変わっているのに気がついたが、それは繰り返された訓練の成果だと信じ、それ以上の可能性については、残念ながら疑いを挟むことはなかったという。
M氏が見たとするX線フィルムと、マロン自身の証言から推測される事実は、斉藤博士の意図的なデータ捏造であり、成果至上主義がもたらした重大な犯罪かも知れない。
もし、このことが事実であったとすれば、どうであろうか?今まで書かれてきた「『空飛ぶコーギー』マロンとその仲間たちの心温まるストーリー」の文学的な評価も一転、泥にまみれることとなり、また、「わあ、コーギーが空を飛ぶなんて、可愛いー!」との声援も、「鳥が飛ぶなら、当り前じゃん」となってしまう。果たして、皆様の判断はいかがであろうか?
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