ランラン森気分

AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん

2021年08月03日 04:32

 『商品番号0000 ランラン森気分 あなたに森の緑をお届けします。価格0円』。幸ちゃんが、その紙切れを見つけたのは、お母さんがペラペラとめくっていた通信販売カタログの最後のページでした。「なんて下手な字かしら。私だって、もう少しマシな字を書けるのに」。カタログに印刷されているわけではありませんので、誰かが挟んだのか、紛れ込んだのでしょう。「それに、これって何の絵?森?」。そこには、クレヨンで描きなぐったような下手くそな森の絵が添えられていました。それでも、森の絵だと分かったのには理由があります。使われているクレヨンの色は、みどり、きみどり、あおみどり、あとは名前も知らない色ばかりですが、まるで緑一色。「これは、きっと森の絵のつもりね?」と、納得するしかなかったのです。

 ピンポーン。夏休みのある日、玄関に宅配便が届きました。通信販売の荷物でした。早速、お母さんが開けています。幸ちゃんも興味しんしん、覗き込みました。「あれっ?これは何かしら?」と、お母さんが小さな箱を取り出しました。下手な字で『ランラン森気分』と書いてありました。「ああ、これって、私が頼んだんだわ。誰かのいたずらかと思ってた。本当は忘れてしまっていたけどね」と、幸ちゃんが思い出しました。「何が入っているのかしら?」と、その小さな箱をそーっと開いてみました。

 中には、ヒノキ、スギ、ケヤキ、カエデ、クス・・・森の木、木、木、木の名前ついた緑色のクレヨンがぎっしりと詰められていました。「何て変なクレヨン。木の名前がついているだけだし、緑色ばかりじゃあない」と、幸ちゃんは思いました。「それにしても、いい匂い」と、幸ちゃんは言いました。「描いてみようっと」。

 幸ちゃんはチラシの裏に木の葉の絵を描きました。「わあ、いい匂い。ヒノキだわ。きっと、このクレヨンに何か入っているのよね」と、幸ちゃんは思いました。その匂いはヒノキの香りです。森の香りです。「こっちはカシだって」と、今度は別のクレヨンでお絵描きです。「わー、これもいい匂い。でも、少し匂いが違ってる」と、幸ちゃんは思いました。

 幸ちゃんのお絵描きは続きます。木の名前のついたクレヨンで、次々とお母さんの顔、友達の顔、犬や花、お菓子・・・と、何を描いても、森にしか見えません。「だって、全部緑なんだもん。仕方ないよね。でも、いい匂いだから、まあいいか」。

 それにしても、きれいな緑です。「なるほど、『ランラン森気分』って言うだけのことはあるわね。誰が描いても下手に描いても何を描いても、これなら森に見えるわね」と、幸ちゃんは感心しました。なんだか、自分が森の中に入っているような、いい気分になってきました。緑の葉が茂る森の小道を歩いてズンズン行くと、小川があったり池があったり、小鳥が飛んでいたり、さえずっていたり。「ステキね。なんだか、森の動物たちにも出会えそうね。こんな気持ちが森気分って言うのかしら」と、幸ちゃんはつぶやきました。

 幸ちゃんは、まだまだ描いています。お母さんが冷たく冷えたジュースを持ってきました。「まだ描いてるの?もういい加減にしたら?」。夢中になっている幸ちゃんに言いました。「本当に木が生えてきたら、どうするつもり?」と、お母さんが止めました。「まさか?大丈夫、大丈夫。でも、本当にそうなったらもっとステキね。」と、幸ちゃんは言いました。

 ピンポーン。そのとき、玄関のチャイムが鳴りました。玄関にいたのは野ウサギと野ネズミの二匹です。「ごめんください」と、野ウサギが言いました。「ごめんください」と、野ネズミも続けました。「ええ?家を間違えていませんか?」と、ドアを開けたお母さんが応じました。「いえ。突然ですが、こちらに森があると聞きまして、寄らせていただきました。」と、野ウサギが丁寧に話しました。「僕たち、森がないと、暮らせないものですから」と、野ネズミもお願いしました。二匹はドンドン部屋の中に入ってきました。「ああ、ここだ、ここだ。この森で暮らしたいと思いまして」と、野ウサギが言いました。幸ちゃんは、あきれています。「だって、これは森の絵でしょう?しかも、本当は森の絵でなんかじゃあなくて、これがお母さんで、これがお菓子。でも、緑一色だから、森みたいになってしまったの」。「いえ。すばらしい森です」と、野ウサギは言いました。「では、失礼します」と、野ネズミが言ったかと思うと、二匹の姿は見えなくなり、どこかに消えてしまいました。

 二匹は絵の森の中にいました。「やあ、やあ。いい森だ。ヒノキ、スギ、ケヤキ、クス、カシ・・・。近頃では、こんなに木が育った森はなかなか見つけられないよ」と、野ウサギが言いました。「まさに、『ランラン森気分』だね」と、野ネズミが応じました。「人間って、本当は森が好きなんだね」「そうさ。木も森も大好きさ。だけど、どうして、森を荒らしてしまったんだろう?」「どうして、森を荒らしてしまったんだろう?」二匹は、腕組みをして首をひねりました。「もう、本当の森なんて、どこにもないんだから」と、野ウサギが嘆きました。「もう、本当の森なんて、どこにもないよね」と、野ネズミが応じました。

 幸ちゃんは、まだまだお絵描きを続けました。そのたびに、絵の森では新しい木がニョキと生えてきます。一本、また一本。クレヨンを変えると、木も変わります。「最高だね!」と、野ネズミが言いました。「幸ちゃん、もっと描いてね」と、野ネズミは精一杯大きな声を出しました。幸ちゃんには、何か小さな声で「森を守ってね」と、言っているのが聞こえたような気がしました。「木や自然を大切にね」と、言っているような気もしました。

 ピンポーン。チャイムが鳴りました。玄関には、イノシシの親子とリスがいました。「まあ、今度はイノシシとリスなの?」と、お母さんがあきれて言いました。「失礼します」と言いながら、三匹はドンドン入ってきました。「この子が熱を出しているの。森にいるのが一番の治療だから、お願いします。こちらの森は最高だと聞きましたので・・・」と、お母さんイノシシが頼みました。「虫歯になってしまったんです。痛くて、痛くて、こんなに腫れているんです。こちらの森には、いい歯医者さんがいるって聞きましたので」と、リスも頼みました。「え?歯医者さん?」は、幸ちゃんは不思議そうな顔をしました。そのとき、絵の森の中から、さきほどの野ウサギが顔を出しました。「ああ、幸ちゃん、僕のことです。じゃあ、ちょっと見せてもらおうか?」と、言いながら、野ウサギとイノシシの親子とリスは、絵の森の中に消えていきました。

 森の中では、お母さんイノシシが「風も涼しいし、木も茂って、ステキな森ね。これなら、うちの坊やもすぐに直りそう」と、ほっと一息つきました。リスは大きな口を開けて、野ウサギの治療を受けていますので話せませんでしたが、大きく一つうなずきました。「こんなにステキな森は、もうどこにもありませんね」と、お母さんイノシシは言いました。リスは痛みをこらえていますので話せませんでしたが、力強くうなずきました。

 ピンポーン。「ほら、またお客さんよ」と、幸ちゃんは言いました。「今度は誰なの?」。「森林環境研究所の者です」と、自己紹介をしたのは、サルとクマでした。「もう、勝手にして」と、幸ちゃんは思いました。「こちらの森の二酸化炭素吸収率が極めて高いと聞いたものですから、調査に伺いました。地球温暖化対策を進める京都議定書で、我が国は二酸化炭素など温室効果ガスを1990年比で6%削減することを義務付けられているのです」と、舌をかみそうになりながらサルが言いました。「こちらの森の京都議定書達成に向けての積極的な取り組みが・・・」と、クマが言いかけたとき、「『こちらの森』とか、言うのやめていただけませんか?うちには本当の森なんてありませんし、この絵だって下手くそかも知れないけど、お母さんの顔やお菓子を描いたものなんです」と、幸ちゃんはさえぎりましたが、二匹は絵の森の中に消えてしまいました。

 サルは奇妙な器械を取り出して、森の空気を測りました。「うーん。最高の環境だ。木は光合成をすることで二酸化炭素を吸収して炭素を取り込んで育ち、吸収量は木の重量に比例するんだ」と、研究所員らしく言いました。クマは大きく深呼吸をして、森の空気を味わいました。「うーん。『ランラン森気分』最高の味だ。ハチミツの匂いもするぞ」と、舌なめずりをしました。

 「人間って、本当は森が好きなんだね」「そうさ。木も森も大好きさ。だけど、どうして、森を荒らしてしまったんだろう?」「どうして、森を荒らしてしまったんだろう?」。野ウサギも野ネズミもイノシシの親子もリスもサルもクマも、全員が腕を組んで首をひねりました。「そうだ」と、野ウサギが提案しました。「僕たちも、森の絵を描いてあげよう。幸ちゃんたちが森の暮らしを楽しめるようにさ」。野ウサギも野ネズミもイノシシの親子もリスもサルもクマも、全員で森の絵を描きました。緑、緑、緑一色のクレヨンでヒノキやスギやケヤキやカエデやクス・・・、木や葉っぱやクルクルやグチャグチャやヘンテコリンやメチャクチャや、それでも、なぜか森に見える絵を描きました。絵の森では、木がもっともっとたくさん生えてきました。

 「さあ、幸ちゃんを迎えにいこう」。野ウサギが幸ちゃんを迎えにいきました。「幸ちゃん、僕たちの森に遊びに来ない?」と、野ウサギが誘いました。幸ちゃんは少し考えて「うん、連れて行ってもらうわ」と、答えました。「じゃあ、ちょっとだけ目をつぶって」。

 遠くで叫ぶ幸ちゃんの声が、絵の森の中から聞こえてきました。「ねえ。お母さん。本当の木が生えているよ。何本も何本も生えているよ」と、言っているように聞こえました。「やったー!これで、幸ちゃんも森の恵みを味わえるね」「よかったね」と、絵の森の中では、野ウサギも野ネズミもイノシシの親子もリスもサルもクマも、みんな大喜びでした。イノシシの坊やもすっかり元気になっていました。虫歯のリスも、もうニコニコ顔です。木々の葉は風にそよぎ、いつの間にか小鳥たちも舞っています。幸ちゃんは、思いっきり深呼吸して、森の空気をいっぱい吸い込みました。森林環境研究所員のサルが「我が国の森林の約40%を占める人工林は、外材の輸入増加等による林業の不振で、間伐などの手入れが行われにくくなっています。このままでは水を貯める力も土砂崩れを防ぐ力も失われてしまします」と、生意気そうに力説しました。「まあまあ、それも大切な話かもしれないけど、幸ちゃん、『ランラン森気分』だね」と、クマが言いました。「そうそう、それも大事な話かもしれないけど、『ランラン森気分』だわ」と、幸ちゃんも応えました。「ところで、あのクレヨンって、何だったのかしら?」と、幸ちゃんが尋ねました。「ああ、あれは僕の発明です」と、野ネズミが答えました。「あの、下手くそな絵は?」「あれはイノシシの坊やの絵です。僕は森の発明家だし、イノシシ坊やは画家の卵です。ステキでしょう?」と、野ネズミは続けました。「ときどき遊びに来てもいいかしら?」「もちろん。大歓迎さ」と、みんな声をそろえて言いました。幸ちゃんは、「森の緑もステキ。森の仲間もステキ。森って最高!」と、両手を突き上げて叫びました。

 お母さんもニコニコしながら、大きな声で呼びました。「幸ちゃーん、夕ご飯の時間ですよー。帰ってらっしゃーい!」。「ハーイ」。絵の森の中からは「ランランラン♪森きぶ~ん♪」の大合唱が聞こえてきました。

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